2015年2月1日日曜日

2015.02.01 月例観察会「宍塚の古墳」


2月1日(日) 晴れ 参加者 大人17名 子ども3名 計20名

 少し風はありましたが、いい天気。
 今日の講師は、土浦市文化財愛護の会会長の大塚博(おおつかひろし)さん。
 大塚さんは、いまから50年ほど前の昭和30年代後半に、宍塚の古墳を訪ねて。たくさんの写真を撮影されています。当時の宍塚の様子や古墳がどのようなところにあるかを伺いながら、ゆっくりと見て歩きました。
 先生とは、安産不動尊で待ち合わせて、まず、上郷池の隣にある大白山古墳(宍塚古墳群2号墳。以下、単に「○号墳」。)を見ました。円墳とされていますが、前方後円墳の可能性もあるようです。
宍塚古墳群2号墳「大白山」の昔の姿

 この円墳を崇めるように、西側に氏神さまを祭った小祠、東側には、白山神社跡がありました。むかしは、古墳のことを「じぶくれ」といったのだよ。今は竹林になっているが、松の林で、下草も刈ってあって、遠くからも見通せたものだ、などのお話しも伺いました。
白山神社跡

 次は、道路(土浦学園線)を渡って、大日山古墳(1号墳)ですが、この道路は、昭和40年前半に山を切り開いて造られており、いくつかの古墳が滅失、大日山古墳も、一部が削られているのだそうです。
大日山全景(昔の姿)
 昭和43年の道路の掘削と遺跡調査の様子(土浦市博物館資料)。上の写真とは逆方向になります。写真の左手奥に上郷池があることになります。


 林の中にある大日山古墳の脇を通って、途中で、11号墳の露出している「石棺」を眺めて、古墳の形が良く残っている10号墳へ。
 昔は、松林で、下草や松葉なども利用されていたので、きれいなものだったそうです。
昔の10号墳
現在の10号墳の上で
 
 土浦四中の科学部が手入れをしている竹林のなかにある19号墳。すこし、削平されているようです。
竹やぶと人で良く見えません。

 さわやか隊やキャンエコの大学生などによって下草を刈り、落ち葉掻きがされて、明るい林となっているゲンベーヤマの突端、大池を見渡せる20号墳。古墳かどうかはさだかではないそうです。道路になったところを別にして、発掘調査はおこなわれていないので、正確なところはわからないそうです。
(現在は竹林になっているムコウヤマあるいはダイヤマと呼ばれた丘の上から、大池方面を見た写真です。〇で囲んでいるのが20号墳の位置。中央左側に大池が写っていますが、土手の桜は植えて間もないようです。)

 ここから、近くの小山のうえにあるという古墳を(竹林などになってみえないのですが)想像したり、そのほか、近隣の遺跡まつわるこぼれ話や、昔の様子、大池では、風が通って波がまるで大蛇がうねるように見えたことなどなどを伺い、天気も良くて楽しい観察会でした。
ムコウヤマあるいはダイヤマと呼ばれた小山

 それにしても、谷津が入り組んだ里山だからこそ、開発もされず、自然も歴史も残ったのだとあらためて感じました。

 写真の人数を数えると、先生を含めて、22名(こども4名)+撮影のKさん。あれっ?途中で増えていたようです。

※ 宍塚古墳群については、25基あったとされ、現存するのは20基とされています。詳しくは、上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)の宍塚古墳群のページをご覧ください。
 ⇒  こちら
by yamasanae


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