月例観察会「縄文時代の宍塚」2024.2.4
参加者:子ども17人 大人22人
講師:上高津貝塚ふるさと歴史広場 学芸員 田邊えりさん
立春とは言え今にも雪が降りそうな朝、しかし天気は持ち直し楽しい観察会となりました。
宍塚には縄文時代の遺跡があり、上高津貝塚は国指定史跡となっています。
宍塚になぜ縄文人が住むことができたのか、それには地形が大きく関係しているのです。
霞ケ浦に注ぐ桜川、桜川低地と台地、台地の中の谷津と特徴的な地形を形成している事が背景にあります。
田邊先生の案内でその一つ一つをたどり1万年前の縄文時代にタイムスリップです。
六兵衛坂の一番高い台地から遥か桜川方面を眺めてみました。
桜川が流れる低地は約7千年前をピークとする温暖化に伴い海の入り江になっていたのです。
縄文人はその入江で魚や貝類を採取することで食料を得たのです。
次は大池まで歩き土手に立ちました。
満々とたたえられた池の周辺のこんもりとした山々の上に古墳群があるとの事。
ぐるりと見渡すとそう高くもない里山から何故このような水が湧き出てくるのかとても不思議です。
池の遥か南を指して、向こうには五斗蒔谷津がありその高台で縄文人が暮らしていた栗崎遺跡があるという。
どんな所なのか、勢至久保谷津沿いを登り、鎌倉街道を通って栗崎遺跡へと登って行きました。
標高約25mのこの台地の上は、主に縄文中期の約5千から4千年前ごろを中心とする遺跡です。
とても見晴らしがよく、台地から低地の五斗蒔谷津を眺めました。
この谷津は1960年代まで田んぼ作りが続けられていましたが、今は放棄され雑草が生えて乾燥状態です。
しかし、今でも湧き水が所々確認でき、ここからの水が大池に流れていることが分かりました。
縄文人は貴重な生活の水をここから運んでいたのではないかとの事です。
次は、縄文人が住んで生活をしていたという証を確認しました。
山道にはモグラ塚がありそこから土器が出てくるとの事です。
皆一生懸命モグラ塚を見ては赤土色をした小さな土器を拾いました。
平たいのや厚みのあるもの、縄模様があるもの、火でこげたのか黒くなっているもの、土器の見方を教わりました。
それは何に使ったのか、鍋なのか食器なのか、土器の一部分を見ながら縄文人の生活を想像し、ここで縄文人が暮らしていたことを実感することができました。
次は縄文時代後晩期約4000年前の上高津貝塚遺跡広場に移動です。
見晴らしがよく高台のこんなにも素晴らしい環境で暮らした縄文人がどんな暮らしをしていたのか復元された場所です。
衣服の材料のカラムシという植物、3~4人が住んでいたという夏は涼しく冬は暖かい竪穴住居跡、住居の直ぐ側の墓場、展望台もあり桜川低地方面を眺めると、今は樹木が成長して見えないが、今より大きく海が広がっていたことが看板に描かれている。
展望台の下は捨てられた貝が1.5m厚さに積もり、その多くが汽水に棲むヤマトシジミで、全体の95%を占めている。
その他、大きな炉、作業小屋である掘立柱建物があり、共同作業をした集落としての生活跡が復元されている。
土の中に埋もれている貝塚が実際どうなっているのか展示室へ移動、分厚い堆積層には貝だけでなく魚の骨や動物の骨、土器片なども見られた。
展示室の堆積層は約400~500年のも年月がかかってできたとのことです。
最後は資料館の体験活動室で宍塚から出てきた縄文土器の観察とまとめです。
美しい形、細やかな縄模様の縄文土器や土器片を手に取り、縄文人の美的感覚、繊細な技術を堪能しました。
最後に子どもたちの質問は、「寿命はどの位?」「どこで寝ていた、その時の布団や着物は?」「風呂はどうしていた?」「言葉はあった?」など、縄文人の生活を想像して沢山の質問が出ました。
縄文人が宍塚に住んでいたという証、生活の跡から色々想像して楽しい観察会となりました。
ご丁寧なご指導を有難うございました。
文・写真:Tanoue
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