上高津ふるさと歴史の広場の学芸員である比毛君男さんを講師に迎えて、中世(鎌倉~戦国時代)の宍塚とその周辺の歴史を訪ねて、宍塚、佐野子、粕毛を回りました。
駐車場でガイダンス。
色々な資料をみせていただきました。般若寺で出土した瓦は、赤くなっていましたが、戦乱などで、焼けたものと思われるそうです。三巴や菱形の文様が入っていたり、文字が浮き出ていたりします。
文字は逆字になっているのですが、他の出土した瓦をあわせると、「般若寺五重塔瓦也」と読めるそうです。見せていただいた瓦には「也」の字が浮き出ているのだそうです。
このほか、瀬戸産茶壺、常滑産陶器などもありました。古いものは平安末まで遡るとみられるものもあるそうですが、ほとんどは、鎌倉中期から室町時代のものだそうです。
ガイダイスの後は、まず般若寺に伺いました。本堂で、内山賢昇住職から、般若寺の歴史について話を伺いましたが、寺伝によると、平安時代にさかのぼるそうです。その後、本堂の仏像などを拝見しましたが、般若寺の釈迦如来像のような大きさの釈迦如来像は珍しいのだそうです。県指定の文化財ですが、解体修理した際に、胎内から、般若寺の縁起や三嶋惣検校が釈迦堂を再建したことなどが記された木札が見つかったそうです。
境内では、国の重要文化財に指定されている銅鐘の銘文を見たり、銅鐘の中をのぞいてみたりしました。これは鎌倉時代の1275年の作で、鎌倉の大仏鋳造にかかわった丹治久友らによってつくられたものですが、とてもよい状態で保存されています。
このほか、結界石、鼻の大きな大日さまなど、文化財も多く見られます。
さらに、国指定の文化財となった銅鐘の勧進元(鋳造を呼びかけ寄付を集めた人)で、般若寺の住職であったと思われる源海の墓(これも推定ですが)とされる優美な五輪塔(県指定の文化財)を見て、隣村であった佐野子へ。
佐野子の五輪塔は、そもそも、つくば市平沢あたりから持ってこられたもので、あたり一帯のお墓の総墓として、配置されたものではないかとのことでした。
東日本大震災のときに崩れたのでですが、数週間前に、少し位置をずらして、基礎をしっかり造って、復原されたとのことでした。
それぞれの石((上から、空輪、風輪、火輪、水輪、地輪)は、乗せてあるだけなので、落ちてしまうのだそうです。
ここで、みんなで、パチリ。そうそう、五輪塔の左にある樹は、土浦の名木古木に指定されているカゴノキ(鹿子の木)でした。
遠景 カゴノキは左側の鹿の子模様がある木 |
当日写真を撮り忘れ。ちょっと前の写真です。 |
by yamasanae
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