2023年2月5日日曜日

2023.2.5「江戸時代のくらし」月例観察会

2023.2.5(日)晴れ 月例観察会「江戸時代のくらし」

参加者:子ども20名 大人27名   

講師:土浦市立博物館 木塚久仁子さん


江戸時代の歴史や生活について研究しておられる木塚久仁子先生に宍塚の集落を江戸時代に戻って案内していだきました。

今回は公民館に集合しました。

室内で、先生から、今日の見学場所とルートのわかる大きな地図の説明をしていただいたあと、次江戸時代に使われていた硬貨「寛永通宝」1文銭の登場です。

今とは違う貨幣価値を分かりやすく説明して頂き江戸時代にタイムスリップした感覚です。

そして、お寺や民家の訪問時は、挨拶、大声で会話をしないなどのマナーもしっかり教えて頂きました。




はじめに鹿島神社の奥の塀まで歩いて前方をみました。

水田の遥か向こうに見える土手、土手の向こうは桜川、更に向こう岸にまで視線を移したところ、そこには、土浦に1軒となった醤油会社 柴沼醤油の建物がみえました。

江戸時代、川は船で荷物を運ぶ道路のようなもの、荷物を積んだり降ろしたりする河岸(川の駅)もあり、宍塚から土浦や江戸へと船で荷物が運ばれました。

醤油も桜川から様々な町へと運ばれたのだと思われます。

鹿島神社は般若寺の鬼門の位置に置かれ寺の鎮守社でした。

江戸時代の村の人々の楽しみは何だったのだろう、その記録が社の片隅の「二十三夜」の石碑に刻まれています。当時暦は太陰暦でした。月の形による暦です。

ここでは二十三夜を楽しみにして仲間(講)が集まり夜更けまで飲み食いして語り合っていたことが想像できます。


次は般若寺へ。

拝殿で参拝していると住職さんが全員を本堂に招きいれてくれました。

江戸時代よりもっと古い鎌倉時代の釈迦如来立像や、高僧の忍性さんの活躍、五重塔のあった大寺院であったこと、国指定重要文化財の梵鐘、江戸時代に鍼灸師として活躍した三嶋検校による復興など、歴史のある寺という事が紹介されました。

本堂の欄間は橋の欄干をイメージした造形で火災から寺を守る意味が込められているとのことです。次に刻字の明瞭な梵鐘を見学しました。

鎌倉大仏を造った丹治久友の名前が刻まれています。

源海上人が元の襲来から国を守るため戦勝祈願に作られたと推定されている梵鐘です。

般若寺門前の大きな「馬頭観世音」の石碑もみました。江戸時代、馬は農耕、運搬などで大切な存在で、1869年の宍塚村の人口は422名、戸数は64に対し、馬は36頭いたそうです。現在(2023年)の人口は789人、戸数は332、馬は0頭で、当時は馬が無くてはならない生活で馬が大切に扱われました。

石碑の文字は土浦藩の学者、沼尻墨僊の直筆、裏には俳句が刻まれ、沼尻墨僊の塾には宍塚村から当時5名が通っていたことが分かっています。

俳句の石碑のある墓地も通りましたが、この地域は学問、文学などへの意識が高かったことがわかります。




いよいよ大きな屋根の民家、佐野友雄さんのお宅です。

以前は湿り気が多い土地に家があったので、150年前にこの地に引っ越したその家は、2009年の竜巻被害までは立派な茅葺屋根でした。

リフォームされましたが屋根の厚みを再現し、昔のそのままの「煙だし」も残されています。

「煙だし」の屋根の役割は、当時養蚕が盛んで蚕のために室内で火を燃やしました。

煙が室内に籠らないよう屋根から抜けていくよう作られた煙突のようなものです。

明治時代の建築物をそのまま残しつつ現代風にリフォームされたお宅はとても風格が感じられます。

同じ敷地の木倉も当時のままで、釘1本使わない工法とのことです。

この地域は鬼怒川が作った微高地で養蚕と稲作が盛ん、しかも近くの里山の樹木にも恵まれ当時の集落の豊かな生活が想像できます。

江戸時代、土浦に住む殿様がこの地から江戸に住む奥様へ送っていたものが「宍塚いも」であったことが記録にあります。

野菜なども種々生産された他、この村には酒屋5軒、質屋1軒、藍屋4軒の記録があり、城下町土浦の武士や町民の生活を支えていたことがわかります。


このように、聞いただけでは難しい江戸時代の生活を、クイズも交えたフリップと実物を見て触って聞いて体験する工夫が随所に仕掛けられた素晴らしい観察会でした。

沢山の準備と長年の経験により、江戸時代のくらしが手に取るように理解でき、子どもたちも先生の話にのめり込んでとても楽しい時間でした。

大人も素晴らしい学習をさせて頂きました。本当にありがとうございました。


文:Tanoue、写真:Nishikawa


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